ノイローゼを疑われ心療内科へ
Sさんの糖尿病がわかったのは、6年前の57歳の時です。大手建設会社で責任ある仕事をまかされ、やりがいを実感する日々でしたが、不眠症が続くようになり、寝酒のウイスキーは週3本を数えるまでになっていたのです。病院で調べると、血糖値が500mg/dl以上もあって、糖尿病とわかりました。「症状が、眠れないとか夢ばかりみるといったことだったのでしょう。ノイローゼを疑われて、最初は心療内科で問診ばかり。なかなか糖尿病がわかりませんでした(笑)」
よちよち歩きのスタート
しかし、Sさんの糖尿病は進行していました。両目に網膜症があり、レーザー治療で食い止めましたが、その後、右目が視神経炎を併発。また、視神経炎の薬が合わず胃潰瘍にもなり、40日も入院するおまけもつきました。
神経障害もSさんを苦しめました。糖尿病の治療を始めて1年が過ぎた頃から、両手足が痛みだし、激痛に変わったのです。とくに画びょうの上を歩かされているような足の痛みと、紙で切られるような手の痛みが、強烈でした。「それなのに主治医は歩け歩けと言う。痛くてよちよちしか歩けないのに」そんな格好で歩くのは恥ずかしいと言うと、「病気が治れば恥ずかしくなくなる」そう言われ、Sさんは覚悟を決めました。
激痛と恥ずかしさに耐えて
最初の目標は、自宅からひとつ先の駅までの往復(3,150m)です。毎日が格闘の日々で、それでも歩き続けるうちに今度は万歩計がおかしくなりました。5,000歩以上はかかるはずが、4,000歩を切る数字しか示さないのです。新しいのに替えても同じでした。その時、万歩計が壊れたのではなく、歩数が減ったとSさんは気付いたのです。歩くにつれ少しずつ痛みがうすれ、歩幅も広くなっていたのでした。
距離がのびると痛みも遠のく
それに勇気付けられたSさんは、長距離にも挑戦。距離や景色の違うコースを数箇所つくり、体調に合わせて組み合わせを変えたり、カラオケのテープを聴きながらなど、楽しく歩く工夫もしました。(1日合計で、25,000歩以上歩いた時期もありました。並行して受けた高圧酸素治療も効きましたね。)3年後、足も手も痛みは全て消えていました。
やめてわかったストレスの日々
「これからは、好きに気ままにやりますよ。」仕事一辺倒だった日々を振り返って、Sさんは言い切りました。たくさんの職人を使う苦労、厳しいノルマ、責任の重圧からくる慢性的なストレス、暴飲暴食の日々。それらが糖尿病につながったと思えるのです。それだけに、退職後に得た今の自由な生活が、楽しく貴重に感じられます。
5年目に入った宅配食
タイヘイを利用して5年。3月からは2週間おきに変えました。2週間は宅配食、あとの2週間は好きに食べる試み。「宅配食にして長いので、好きに食べるといっても、つい今までの応用版になっちゃって…。自分でカロリー計算はできないので、宅配食はこれからも続けます。」Sさんはそう言って笑いました。